やりたいことは?

もう何年も前から通っていて懇意にしてくれているMusic Barが新装オープンするということでその様子を見に行ってきた。
暖かい雰囲気いっぱいのそのバーではこれからどういう営業をしていくか、若い新マスターはきっと不安もいっぱいあるのだろう。
でもそういう不安とは背中合わせにワクワクするような希望も有るものだ。
新しいメニューや今までとは違った層のお客様にどういう立ち位置で喜んで貰えるように接して行くか、そういった事を考えれば考える程に不安と希望が膨らんでいく様子が感じられ、若いって素晴らしいことだと感じた。

「どういう企画を立てればいいと思う?」という問いかけに対して「自分があったらいいなぁ、そういう企画が欲しいなぁというものを一つづつ実現して行けばいいんだよ」という話をしていた中で、「じゃぁあなたがあったら良いなぁと思うものは何ですか?」という問いが。
プレイヤーの端くれならば、音楽を演る上で究極の幸福感を味わえることが何であるか、誰しも考えることだと思う。
その当たり前の問いかけに対してごく素直に答えるならば...
「そこに居合わせたプレイヤーの間で自然発生的にその場での演奏が、しかも極上の音楽が出来たらいいな」
そう答える以外には無いと思った。

○○セッションとか○○のライブとかそういった事には一切捕らわれずにその場の、その時の感性で波長が合ったら演奏してみるということだ。
もしかしたらそういうことをやって良いのは達人の域に有るプレイヤーなのかもしれないが、それすら超越してみんなで音の会話を楽しみ、参加し、刺激しあって楽しむということをやってみたい。
楽器の種類とかジャンルとか云々はもうどうでも良いこと、とにかくずっと演っていたい、聴く立場であればずっと聴いて居たいと思えるような時間を創り上げたいといういのが究極の「やりたいこと」なのだと思った。
セッションに通うのも毎日練習するのも仲間を増やすのもライブを演るのもそういうことなのかもしれない。

話はそれるが、ジャズの世界ではベースはウッドベースであることが望まれることが多い。
ジャコパスとリアスがあれ程の衝撃を与えエレクトリックベースをジャズの現場でジャズの楽器として認知させた後でもそういう話をまま耳にする。
ウッドを演ればいいのにとかウッドで演れば営業の機会が増えるのにという言葉は何度も聞いたが、どうしてもそういう気になれないのは何故か?。
自分がウッドベースが嫌いという訳ではなく、むしろあの音色は非常に魅力的と感じているのは事実で弾けるようになろうと練習もしているけれどもそれを表だって言う気は更々無い。
あるジャズのピアニスト曰く、「私はウッドだろうがエレベだろうがそんな事は全然気にしない」というのは、良い合奏が出来ればプレイヤーとしてこの上無い幸せであり、楽器の種類云々はどうでも良いことだという意味だろうと勝手に解釈している。
実際そのピアニストはウッドでもエレベでも極上の感動を私に与えてくれるから実に説得力がある。
もしグランドピアノじゃなくてアコーディオンだったら?もしドラムじゃなくてカホン一つだったら?もしギターじゃなくてウクレレだったら?もしSaxじゃなくてリコーダーだったら?もし....

先の、言い換えれば「あなたが本当にやりたいことは何?」という問いかけに「ただ良い合奏が演りたい」と答えたその些細な理由の一つなのかもしれない。