鉄道事故2


安全神話
安全に神話なんか無い。
安全に携わる人達のたゆまぬ努力と過去の失敗からの教訓から辛うじて支えられているものだ。
軽率に「神話」なんておちゃらけた言い方をして欲しくない。

「専門家」
こういう事故になると必ず鉄道の専門家なる人物がTVに登場する。
事故直後によく登場していた専門家氏は一人でテンション上がって事故の内容について断定的な発現を繰り返した。
しかし、真相が明るみになって行くうちにかの専門家氏の断定は片っ端から否定された。
そういう風景は大地震のニュースや特番でも目にしたことがある。
こういう事がいたずらに世論を不安に導くんだと思う。

「救助?報道?」
どこだかの報道関係者が事故直後の映像を撮っていた。
どうやら事故の有った列車に乗り合わせていたらしい。
救助をせずに出勤したJR西日本の社員は大いに非難されているが、怪我をしている乗客同士や近所の方が必死に救助活動をしている姿をVで撮ってる報道関係者は非難されないのかしら?
得意げに「私たちの社員が撮影していた映像」みたいな言い方をしていたけど私には不愉快に聞こえた。

「社長の弔問」
被害者宅を謝罪して回る社長、遺族の怒号、そんな絵がお茶の間に流れている。
誰だって家族を失って冷静で居られる筈が無いじゃないか。
そんな姿をお茶の間に流すのがジャーナリズムなの?
あの人たちだって5年10年してあの映像を見たら決して良い気はしないと思う。
それをしないのが「良心の歯止め」とか「報道人の誇り」なんじゃないのか?