打楽器

ベース(エレクトリックベースギターあるいはコントラバスorウッドベース)の位置づけ、役割を考える時にいつも思い浮かぶのが「仲立ち」という言葉。
打楽器とピアノやギター等の和音を出す楽器との間に在って、リズムとハーモニー・メロディーとの仲を取り持つ役柄という意味である。
例えばピアノトリオの場合には一方でリズムを協調させつつ他方ではハーモニーの一役を担うのでそう感じるのかもしれない。
しかし、良く良く考えるとピアノにとってもリズム要素は重要であるし、ピアノがが直接ドラムスと取引をしてリズムの駆け引きをしても良い訳で、「仲立ち」というのは自分の思い上がりか、はたまた余計なお節介であるのかもしれないとも思う。
今日のセッションでは結局最後までドラムスが不在だった。
そこで感じたのはドラムスとの通信回線が無い分リズム楽器としての責任が重くなる反面ドラムスとの連携に気を遣わなくて済む分だけ他楽器との対話に余裕が出来、より密度の高い対話が楽しめるような気がしたこと。
もしかしたら打楽器が不在であるということは、ベースにとってはある意味楽なことなのかもしれない。
今日のセッションではpf+g+管楽器、そしてbという編成が主だった。
そうなると、自分の場合はどうしてもpf寄りの立場に立ってしまうことが多い。
pfがアドリブしている時間では、pfはこう演りたがっていると思うから自分はこうするのでgにも協調を求めるような行動をしがちになってしまう。
本当はどの楽器がどの楽器に反応して...という関係は対等であるべきなんだろうし、それは打楽器との関係においてもそうなんだろうと思う。
とは思うのだが、打楽器とメロディー楽器との関係が希薄に思える事が多いことも有って「仲立ち」感を感じるのかもしれない。

等といろいろ逡巡していると、結局ドラムレスが楽に思えてしまうのは自分の至らなさ、余裕の無さであることがだんだんと明白になってしまうのだが、それでもジャズの演奏に関してはドラムレスに魅力を感じる。